選択の不自由

一個人に於ける、
ストレスの発散あるいは解消といった場面での、
その方法についての思案

そのひとにとって、
最適であるかどうかは、あらゆる方策に対峙していないからには
判断は出来ぬことで
おそらく、有効であるものが見つかった時点で
彼はそこに溺れることになるのだと思う

僕は時折、忙しい大人たちに向けて、
「なにをして遊んでいるんですか」
「どうやって疲れをとっているんですか」
といった質問を、不真面目な形態で発信することがあって、
ネットという文字の表示されるステージでは
大概は応えは極少ないものしか得られない仕組みには
なっていて、
だから似たような疑問符を、対面シーンで稀に
突き刺してみたりすることもあります

なんであれ、
それで解決、解消になるのならば
良いのだと、思っていたけれど本日は
その方策に関し、効果があればなんでも良いということでは
ないのだということに気付く

自らが救済される為に
手段は厭わない、
何故なら生きるのに必死であって、
他人や状況などについて気遣う余地余裕などないからだ、
と、
なかなか尤もらしいきれいな道筋が立つ、

しかしね、
極端な話なら、
道行く人々を次々と撃っていくと気持ちがすっきりする、
だから俺は、そのようにしている、
それがそのひとにとってのストレス発散方法であるなら
どうかというようなことで、

ヒトは、個に没するとやはり他者は見えず、
しかし、
有効な救済法、について、
そこに選択の自由は、制限されているのだと

そんなようなことを考えていたところです

まとまってないけど

歌にするでもない話ですし

自分が、しがみついている習慣の、
見直しをしていたので、こういうことになったw

余裕の有る無し、で片付けてはならず、
もっとこう、私の、理想というかあるべき状態としては
自分の危機脱出の際であれ
倫理や道徳が、勝っていて欲しいと

まぁそんなことを思ったまでです。

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魔力

この体の奥にまで入り込んでくるような
そして魂に行き着き、更にまだ進もうというような
不思議な力を持った人物に最近出会った

私という者は
疑い深いところもあり
そう容易く他人の言動そのままに動かされることは
ないのだけれど、
どうやら万人に対して効力のあるその魔力は
例に漏れずこの私にさえ
存分に発揮されているように思う

酷くおそろしい

そういう、仕事の仕方をするのだろう。
経験や学習で培った能力であって、
ひとつひとつの成功の為に
いつでも自在に活用するのだと思われる。

もう数週間に渡り
私は魂を揺さ振られたままで居て
しかしその人物とのやりとりは終焉にさしかかっているので
そろそろ解放されるはず

できれば最後に
あなたは何者なのか
というふうな質問を
投げかけてみたいもの

この惨敗の心を伝え
そして別れるのでしょう

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さようならの周辺

いくつかのことへの、決別。

そのために動いています。
僕がずっと、抱えてきたままで、
そのおかげでいつも泥にまみれていた、
根源であろうと睨むものから
少しずつ、離れていく

いつか話せる時が来るのか、
わからないけど、
僕の居た日々の、幾多の不可思議は、
明らかに、僕という人間を崩壊させていた。
何故僕は、こうでなければならなかったか、
そんな疑問に独りのた打ち回る茶飯事は、
確実に、僕という者を、世とは異質なものへと
形作っていった

僕は、そういった、明かせない様々なことを、
胸に秘めたままではいられないとは
以前も言っていたと思う。
しかしそれを、発信するには、
おそろしい危険が含み、
存分に準備が必要であって、
例えば性質として似通った人物が賛同したとしても、
気軽に同行するわけにはいかない。
覚悟、それは、
おそらく他者には、真似て欲しくない。

どうしていつも僕は哀しいのか、
何故、今を、未来をと、楽しむことができないか、
答えることは、暗黙の禁忌であって、
そこを越えて、行こうとするのです

流されているようにも思う
僕を取り巻く、類似する魂の力添えを感じる
助けてくれているような気がする
スピリチュアルな思想というのではなくてね

どうなるのか、わからないけど、
踏み切ってみることにしたんだ

酷く恐ろしい
だけど
契機が来たみたい

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順番が狂う

いくつか、予定してみていたことが、
そう上手く、順番通りに進まず、
もうちょっとアトのつもりだったのが、
先になったりしております

所謂メンテナンス、が終わって、
自分の曲の仕込みなどを進めて、
そして、さぁそろそろ!つて、
おニューのギタァを選ぼうとしていたのですが、

親しくしているギター屋さんが、
先日地震の時に割ってしまったギターの修理の件と併せて、
新しいギターの話を出してくださって、

国産手工モノを何本か見たりはしてたけど、
まぁそりぁ、美しいし音もカッコイイ、
値段はまぁまぁ高いのは覚悟、
ライブと別の場面での私の常々弾いてる状態を
ご存知なので、
「もう初心者用ではなく、次に行って良いよ」と
言われちゃうとやっぱ欲しくなるよね~

って、しかし買えないなー、となっていて少し経った頃、

どっかから流れ着いた中古モノが!
同じトコの中古モノは出回っていても、
私の場合、スケールの長さを少し短くしてるので、
それがあるってゆうのは珍しい(とのこと)

値段も破格。
見ちゃったら、持っちゃったら、もうねー

というわけで、
新ギタァが早くも我が手に。

エレアコでもエレガットでも無い、純クラです。
ライブでどうかな~という心配ぐらいです。
歌マイク、ギターマイク、でやったこと無いんで、
他人のライブ観てると、ハウリング対策に苦労してそうだし、
私だとまた、口と手の距離が近いからな、
マイクで拾う練習を新たにせねばならなくなった

前のギター(タカミネじゃなくて他のクラギ、割れたヤツ)は、
修理に出しました。
普段出しっぱなしで気軽に弾くとか、ちょっと持ってくには良いし
これはこれで使い続けます。

フォークにナイロン張ってたのは、
ネックが細いほうが良かったからです。
それが、ネックが多少太くても大丈夫になった。
ピックで弾くより断然指弾きが好きというのもある。
でもまぁ、「クラシック弾き語り」ってふうには、言われたくないかな。

ライブ再開の際には、
この新しいギターで臨むと思います。
よく弾き込んで、自分の相棒になってもらう。

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少しわかった気がした

弾く時の意識、として、
「怒り」がそこに在るのだと言ったカタに対し、
かつて私は、それは違う、といった反応を示したのですが、

昨日なんとなく、
弾いている時ではないのですが、
ああ、と、分かったような瞬間がありました。

しかも、その感覚は、
割と恐ろしいほどのチカラがあって、
これを持ったとすると、どこまでも進むのではとか
止まってなどいられないような
前述のカタの迫力の意味が少し、
分かったような

私に足りないものだな、あるいは無いものだな、と
思っていたけれども、
認めようとしなかっただけで、
実はかねてより私の内には在って、
そして、今はきっと、「持っている」のではないか

勿論そういった力、だけで動くわけではないです、
他の諸々も備えていて、
そこに加わるひとつの要素であって

私にとって、妥協とは違った、抑えておくべきもの、という
美徳に近い考えに属したものがあったのですが、
それは今は、決して美しいものではないと思うようにもなって、
なんだろうな、
「まぁ俺が手を下そうとしなくても、そのヒトは自然と滅びるだろう」
みたいな他人事のスタンスが、
崩れてきてるとでも言うか、

いや、手を下すとか、物騒なことでは実際ないのですけど(笑)
ささやかに、我慢しない、ぐらいのことかな
自分で責任を持って、戦いに行くとかでいいかな

人々って、「私はそんなヒトではありません」と成りたがるとしても
どこかしらで、
近い他人より優位に居たいのだと思う、
その感じを察するがために、
非力であり弱くて駄目な自分をアピールするところが私にはあり、
それで相手は満足するのだろうと面白がっていたけれど、
変な敵対心を持たれたとしても、
隠さずに努力をし、成果を欲し、行ってみようという
勇気に近いものが、育ってきたかなぁとか

堂々としよう、
一言だと、そんなところです。

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愛し、恨んで、そのアト

僕から、アイがどうこう、という話が出るのは
世間はどうあれ、僕自身にとって、
実に違和感があって、現実とは到底思えず、
リアリティといったものが無い

一生を通じて、世間が日常のひとつの要素として
備えているであろうものとは無関係のところに
暮らしているのだと僕は思っていた

結果的には、元に戻り、
やはりそうだった、となるのではあるけれど、
一時期、幻想に陥り、奇跡だどうだと飾って、
僕はニンゲンを愛した、ように感じた日々を過ごした

僕を操る何者かが、
擬似体験をさせたに過ぎないのだと今は思う。

とても上手く、筋道が作られていて、
僕がそのまま、誰かと暮らし家庭を持つというようなことに
なり得ないように出来ていて、
ある意味の、僕の行き先としての、過ち、とならぬよう、
僕のところに還るように、話は進められ、終わった。

愛するというときの、没した感覚は、確かに良い体験だった。
僕の人生が、他人と共有されるものになるのだと
イメイジが生まれたこと自体は有益であった。

実に上手に、当事者のみが事実を知り、
そして終わり、そのまま、誰も知らず、消えたのだった。

何故、と音にせず叫ぶ暮らしも長かったし、
引きずってみた日々も大いにあったし、
そして諸々を恨み、壊れて、そして、

それが小説であったことを思い出す。

ああ、僕はただ、お話を読んでいたのだった。
あまりにも没頭したがために、現実と倒錯していたのだった。


あれは一体、なんだったのだろう。ではなく、
あれは、読み手を離脱させるほどのチカラを持った、
危険な小説であったのだった。

その本は、読み終えると、姿を消し、
他の誰かがまた読むことの出来ない仕組みになっていた。

じわじわと、我に還っていくうちに、
視覚、嗅覚、触覚、味覚など、この身が味わったであろう全ては、
記憶にはかろうじて残るものの、
実感は失い、
セリフの詳細も、忘れて、
「読んだのだと思う」というところへと、処理されていった。

話の中の僕は、最後に、さようなら、と言ったと思うし、
そもそも、作られたものであったのならば、
以後、この僕が、どうこうしようとするのは、次元が違うのだろう。

思い出しながらここ数日、頭痛に悩んだのは、
脳の記憶野を一部、焦点を絞って焼き払っていたのかもしれない。
痛みがおさまったら、
僕は、もう憶えていない。

こんにちは。
そう言ってまた、街を独り、悠々と歩こう。

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言わずに終わらない

認識力が、あるのかないのか分からない相手に、
僅かばかりの、残りはあると思った上で、
僕は数ヶ月前に、言ってはならないかもしれないことを、
端的に叫んだ

他にもいくつか、訴えた。

あといくつか、質問をしたいことはあるけれど、
おそらく僕がそう思う項目は、
最大の情け、として、封じ込めておくのだろう

ただ疑問として、持っているということを
示したいとは思うのだけれど、
それさえもやはり、道徳が許さないのかもしれない

しかし申し訳ないけれど、
フィクションという形を装いながら、
僕は悪質な手法で、遠巻きに陰口のように、
いつしか無関係の人々の前に叩き付けることには
なるだろう

そして自分は愚かであったと、落ち込むこともあるとして、
そんなことで気が済むというのなら
どうぞやってみたらいいさと、この身に吹っかけて、
そこに勇気といったものが、生まれないのなら、
僕はそれまでで、何を守ったつもりか、変に安堵でもするのかも

殆どの、僕にとっての、過去の事件に関する自己理解は、
きっと済んでいてね、
青い情熱的突発的な、攻撃的なものは、
作ることは無いでしょう。
僕は飽くまで、お話、に旋律を乗せていくのが好みであって、
個人の感情の露呈だとかで、そのまんまの言葉を用いるといった
方法では作りたくないからです。

簡単に今思いつきでひとつ例えれば、

家が壊れて、泣いている、という事実を元に、
お花が散って、また咲くのを待つという話に転換されていく、とか

津波が襲ってきて、全てを失う、のを見知って、
旋律の波が脳を揺さぶり、魂はアテも無くどこかへ飛んでいくだとか、

って、今テキトー過ぎて全然甘いですがまぁ、
そんな風に、ダイレクトな話には、しないということです。

それで自分に関する話題すら、
まるで別の話のようになって、
皆さんは、そのお話を聞いてくださっている一方、
僕の中では、作る最初の段階での記憶がいつもあって、
まぁこんなことは、言う必要はないのでね、と、頷くのです。

作者だけの、秘密の愉しみ、みたいなものですかね。
自己満足、っていう言葉を使いたがる人は沢山居て、
そこにはめ込まれても、仕方がないというか、
すぐそう結論づける傾向はよく知っているつもりなので、よいとして、
本人からしてみれば、他者が満足してくれることを目指しているのであって、

作っていいものと、いけないものがあるって、
そういうのも、わきまえているつもりです。

何があったか、言いたければ、
日常の会話で平気で話しますから、歌にする必要も無いしな。

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信じない仕組み

誰しもを、信じない、
と言うと、ただすさんで、ヒトとして未熟であり、
自分を愛せない者は他人も愛せないという類の
教訓で流されるようにも思う

僕が持つ、ヒトを信じない、という仕組みは、
ずっと前から構築された、
単なる自己防衛手段なんだろうかな、と先程、思っていたところです。

信じたくても、
いや、信じたいという感情もよくわからなくて、
なんだろうな、
相手のことを、信頼し安心したままでいたいというか、
まぁ、もしや、と疑う心情を持たない晴れやかさみたいなもの、
そこに棲みたい、との希望はあったとして、

信じられない、あるいは、信じてはいけなかった、となる
結果を、多々得るうちに、
最初から、この人達の言葉など、
明日には、次の秒針の頃には、幻になるかもしれないと
身構えておく必要が生まれていく

それは、
まさかの翻し、を受けた際の自分の状態から、
ニュートラルぐらいのところまで復帰させることの困難で
何日何ヶ月何年と無為に過ぎてゆくことを
幾度も知った所為です

ギリギリのラインで話を進める、
昔々から、自分にとって、かけがえのないはずの存在は、
いつだって無意識的に、時には意識的に、
僕を持ち上げては落とし、持ち上げては落とし、
ひとりは忘れ、ひとりは笑った

幼い僕は、そういったときに、どうしていたと思いますか。
どうも、していませんでした。
自分の中だけで、ただ波がおさまるのを待っていただけです。

寝て、日が経ち、まだその所謂波というのが
余韻を持つ頃には、
次の似通った理不尽が、僕を打つのでした。

またか。ああ、またこれか。
と、思っていたとは、思います。
しかしながら、幼い僕は、そこでは、「信じない」という語を
当てはめていなかった。
感情に言葉を持っていなかったとも言えます。

僕が、なんとなくいつも、内面的な意味で、
独り、である理由が少し、
明らかになった、かもしれない、ですかね

根底に、敷いてあるべきものが、無いと、
ヒトは上手に歩めないのだろう。

そういうものだ、と、理解したあと、
では、どう歩いていけばいいのか。
そこがまだ、僕にとって、わからないことのひとつです。

わかった気がする、のと、
わかる、のとは違うからな。

誰にだって、わからないさ。それが人生さ。と
誰かが諭すなら、
僕はまた、そういうんじゃなくて、と、人々を避けるのでしょう。
一般論で片付くなら、僕も一般であるということだ。
僕が一般であるなら、どうして同じような人は見当たらないのだろう。

しかし、
「信じない」っていう表現は、違うんだよな。
どう言ったらいいんだろうな。

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運ばれる先は

活動、をしている人々が、
お客さんなどに見せる必要のない、所謂私生活に於いて、
一体日々どんなことが繰り広げられているのか
あまり知らない。
やはり、公開の必要が無い、あるいは、
見せるべきではないとの理由で、知るに至らないんだろうかな。

自分に関し、
自分だけの問題ではない部分での困難な出来事が起き、
それで、どうするにも手段が全く思いつかず、
それでも、どうしたものかと巡らせていると、
地震があって、なんとなくうやむやになった。

自分の地域は被害が少ない為、
ちょっとした片づけなどで修復は済み、
となると、また例の問題に取り掛かるのだなと別の憂鬱が襲う

すると
今度は違った方向から、
まるで新しい、唯一かもしれない解決法が、
それは望んだというより必要に迫られた形で浮かび上がって、
なんとか、なるのかもしれないと

ほんの少しの、アタマの安定が得られたというような
しかしただ、たった今日一日だけの安堵感かもしれず、
それでも、苦しみの形が変わった

自分だけが、どうなっていくかを考えているだけでも、
一杯であって、それはおそらく、誰しもが、であって、
そこに更にのしかかってくる諸々というのは、
酷であるけれど、それもまた、誰しもが、であるならば

自分とその周辺とが、一緒になって、
運ばれていくのだということを実感している本日です。

自分の為、近い他人の為、遠い誰かの為、
どれかひとつでは居られないのだなと、
受け入れた感じがあります。

責任、というものが、くっきりとすると、
漠然とした焦燥感ではなく、
現実味を帯びた「予定」遂行への、単なる「急ぎ」になって、
これとこれを、いつまでに済ませて、という、段取りが
今ひとつひとつ、組まれていっています。

なんだか、私という者のジンセイてやつの、
次の章に入ったように思います。

片付けることがありますので、ライブに行くこともまだ
あまりしません。
自分がステイジに立つ頃というのは、だいたい見えてきました。

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目を逸らしても

ここ、久しぶりになりました。
別ブログを毎日のように書いていた日々でした。

人前に出る人物、としてではない状態で、
毎日書く、ということを試していました。
作品の話題や、活動のこと、思考のこと、
そういった自分の中心であろうポイント、以外のことで、
どんなふうに書いていけるのかを、試していたというような感じです。

そんなのは、不可能だと最初は思いましたが、
むしろ何の躊躇も無く、何ら苦痛も無く、続行に至った。
もう4ヶ月ほど経過しました。

旅に出ていたような感覚があって、
リフレッシュという類にはなりませんが、
1日1日は、有意義といえばそうだったと思います。

今朝、見ていた夢で、
私はもうすぐこの世から去るらしき長い話があって、

最期に周囲の人々に、伝えておくことは、あと、なにかなぁと
思いついては、動きままならぬ口角から言葉を発し、
まぁ、みんなが使えることというと、残っているお金だとか、
なにかしらの置いてある場所などをいくつか述べていて

姿は殆ど今と変わらず、
しかし苦しむようでも、未練があるようでもなかった。
悲しいという感情も持っていないようだった。
親親類が居て、状況の所為で不安げなようにも見えたが、
元々の交流が特に無い設定は現実と合っていて
業務連絡を聞き取る役として登場したに過ぎない。

意識が消えていく、もう少しだな、と
弱っていく体は地面を這って、
これから魂がどこへ向かうとかのイメイジも無く、
ただ、終わっていく感覚を味わっていた。

今日は、歩いていると、
身内の姿があって、
しかし私は素通りし、帰宅をした。

何故私は、ここに居るのだろうかと
その後は幾らか考え、
何故私は、日々苦悩しているのだろうかと、
その意義などを考えて今に至ります。

忘れない為に、苦しんだままでいようとするのだろうか。
許さない為に、傷ついたままでいようとするのだろうか。

人生を楽しむ、とは一体なんなんでしょうね。

僕は楽しむつもりがなく、
解決をしたいだけで暮らしているように感じます。

問題が解けたら、そのテストは終了であるし、
解けなかったら、それは時間切れでまた、終了である。

なにがなんだか、わからぬままに、終わっていく人々、
その全員が、歌い、ステイジに立つのではない、
それは、確かでしょう。
作り、発信するのではない、それも、確かでしょう。

私が、できる、できない、という話ではなく、
私は、かろうじて見出した手段として、どうだろうかなと、
作り、披露し、それでなんなのか、それでも、

何もせずにはいられないのでしょう。

自分だけの為ではないことは知っている。
自分のヒーリングであれば私事実話だけを歌っている。

音楽のひとではない、と言われることには
特に消沈はしないです。
ただ、努力不足という意味では、自戒の必要は大いにあります。

今、避けている、逃げているものがあることを
よく承知しているところです。
何故逃げるのかを、しっかり自分に問い詰めているところ。

目を逸らしても僕の現実は変わらない。
行くしかないでしょう、と、準備運動をしています。

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